雄大なる足尾山地の麓、この風光明媚な鹿沼の地に、
遥か江戸への想いを馳せる熱き男たちがいるのをご存知でしょうか。。
いつも「I[E:heart01]かぬま」をお聞きくださり、ありがとうございます。
4月の放送は「鹿沼の名匠シリーズ」と銘打って様々な賢人をご紹介してきましたが、
30日放送のラストを飾ったのはこのお2人、
鹿沼彫刻屋台の彩色師、澤田了司さんと、
鹿沼彫刻屋台の彫工職人、黒崎孝雄さんでした[E:clover]
現在戸張町在住の澤田さんは、幼い頃から絵が好きで、
独学で勉強を重ね、20歳の時に日光の社寺の修復を手がける「彩色師」となり、
その後京都で修行し、日本絵画の狩野派の技法を身につけました。
※日光における「彩色師」とは、日本絵画史上最大の画派「狩野派」の流れを汲む職業画家
集団を指し、岩絵の具や顔料など漆以外の画材を用い、江戸時代以前の歴史的建造物
(国宝等)に彩色を施す専門職のことです。
現在は日光社寺文化財保存会彩色主任技師として、
国宝「日光東照宮」での平成の大修理を手がける傍ら、
彫刻屋台との出会いは、屋台の修復を考えていた戸張町の自治会長さんに依頼されたのが
きっかけ。
当初は初めての事に戸惑いを隠せなかったそうです。
「そうですね、やっぱり元の色って言うの?もう色が落ちてますんで、それを探さなきゃいけ
ない・・・そういうものの調査が大変でした、ましてこれは本業じゃないので、夜なべなんです
よ。あるいは土日。これをやっている時は休みは全く無かったですね」
屋台が作られた江戸と同じ色を再現するために、文献等を丹念に調べた澤田さん。
「やっぱりね、昔の人の志っていうか・・・何を表現したかったか。それが一番でしたね。それを
探さなきゃいけない。剥落してる中から、昔の人はどういう思いで、どういう表現をしたかっ
たのかなっていうのを探しながら、復元していくわけです。でももうほとんど色がないんですか
ら・・・」
最初に作った職人さんたちの意志や、屋台が作られた江戸当時の人たちの週刊や文化など
を想像しながら、苦心して色を再現していったそうです。
原材料となる岩絵具などは既に入手困難になりつるあるそうなのですが、それでも次に修理するときのためにと、材料を保管し、見取り図と言われる彩色の設計図をご自身で作成して後世に残そうとしています[E:confident]
今ある困難を克服[E:rock]しただけではなく、未来も見据えて仕事をする澤田さんの真摯な姿勢に、
「彩色師」としての確固たるプライドが見て取れました。
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続いてご紹介するのは[E:happy01]
日光奈良部町在住の彫工職人、黒崎孝雄さんです。
大田原出身の黒崎さんは、とにかく大の祭り好き[E:fuji]
お囃子が聞こえると道具を置いて風のように消えてゆく[E:dash]とか[E:happy02]
祭りに親しむ中で、屋台彫刻にも次第に惹かれていったそうです。
鹿沼の屋台との運命的な出会いは・・・富山で職人修行した後、東京で働いていた時のこと。
鹿沼の屋台が展示されるとのことで見に行った先で、
解体中の屋台が壊れ、途方にくれる担当者を助けて修理したのがきっかけでした。
平成元年から鹿沼に住みついて各地の屋台彫刻を修理するようになった「黒ちゃん」は、
祭りの他にもう一つ、とても[E:shine]大好きなもの[E:shine]があります。
それは、[E:notes]サザンオールスターズ[E:notes]の桑田佳祐さんと彼の音楽[E:music]
あまりに好きすぎて、彼の別名でもある「嘉門」を自らの彫師名にしてしまった程。
黒崎さん曰く、桑田さんの歌と彫刻には相通じる何かがあるそうです。
「あの人の歌とか歌詞、あれはやっぱり日本的な感じがする。彫刻も日本人の中に流れている血が作らせている。江戸時代なんですけど、その雰囲気に近い」
日本という気候風土の土地に生まれ育った者同士が持つ、共感や気質がそれらを生んでいるのかもしれませんね。
また、日本における彫刻とは、
西洋彫刻と違い日本人独特の考え方に基づくものだと語る黒崎さん。
「学校では、どっちかっていうと西洋寄りの美術の考え方しか教えてくれないじゃないですか。
そうすると最初は分からなかったんですよ。なんでこういう形してるのかなとか」
「立体だと思ってずっと作っていたんですけど。絵様っていうのはデザインであったり絵のこと
だったりするんですけど、それを立体化したものっていう考え方なんです。」
彫刻というのは「絵様」というデザイン画を元に、彫師が想像力を掻き立てながら彫っていくも
のなのだそうです。
アニメのセル画からフィギュア[E:virgo]を作る過程にも似ているそう。
なるほど[E:eye]とっても分かりやすい例えですね[E:flair]
明治時代の貴重な絵様の内容に、レポーターのまるモリも思わずため息。。。
入魂の一打!
この繰り返しが、単なる木材であったものに命を吹き込んでいくんですね。
今、開眼の時。
絵様の中の「未知なる生物」が、生きたままこの空間に現れ出たようです・・・感動。。。
製作中は眼光鋭く手元を見据えていた黒崎さんも、一区切りつくとホッと一息[E:confident]
それにしても、「いなせ」だなぁ[E:happy02]
最後に、お二方からメッセージをいただきました。
澤田「やっぱり一番の見つけはここ(屋台の上方)なんですよ。人だかりが来るじゃないですか。そうすると上の方しか見えないんですよね、お祭りになると。でも上の方なら遠くからでも見えると。一番ここはお金をかけるところなんですよ。屋台が競い合う時の様子なども見て、日本の江戸の文化をぜひ見つけて欲しいね」
黒崎「屋台はあくまで鹿沼のお祭りの道具なので、お囃子が入って、若衆に引かれてやっと屋台になると。屋台の命が蘇るということなので、ぜひそのお祭りを見に来ていただきたい。屋台の彫刻も、屋台が動いた時に綺麗に見えるようにできているので、それをぜひみなさんに見ていただいたらいいかなと思います」
澤田さん、黒崎さん、どうもありがとうございました[E:wink]
これからもお身体に気をつけて、末永く頑張ってくださいね[E:scissors]
[E:clover][E:clover][E:clover]
屋台自体は屋台のまち中央公園(鹿沼市銀座1丁目1870-1)などでいつでも見ることができますが、
動いている所が見られるのはお祭りの時だけです。
今年(平成24年)の[E:fuji]鹿沼ぶっつけ秋祭り[E:fuji]は、10月6日・7日の2日間に渡って行われます。
沢田さん[E:rock]や黒崎さん[E:rock]のような、腕利きの職人さんたちが施した鮮やかな動く屋台を、
皆さん是非ともこの[E:shine]鹿沼[E:shine]に見に来てくださいね[E:happy02]
さて、一ヶ月に渡ってお送りしてきました「鹿沼の名匠シリーズ」。
皆さんいかがだったでしょうか?
古き良き時代への郷愁だけでなく、次なる未来へと着実に進んでいる方々。
伝統を守りつつ、この鹿沼の地が誇る文化的遺産を未来永劫伝えゆく大切さ、
私たちも忘れずにいたいものですね。